LCONNECTING ROOM

ホテル情報誌「ホテルジャンキーズ」掲載記事より


My Dear
ホテルライフ



ホテル情報誌「ホテルジャンキーズ」で創刊以来、デビューカタログを担当してきた上野奈穂さんの連載コラムです。

旅行ガイドの編集者として世界各地を飛び回っていた独身時代の気ままなホテルライフから、結婚後ご主人の仕事の関係で住んでいるセブ島での夫&子連れのファミリーホテルライフまで、ホテルジャンキーの視点で綴られた楽しいエッセイです。


うえの・なほ
●「ホテルが私を呼んでいる…」をコラムのタイトルにしようと思ったくらい重症なホテルジャンキー・ライフを送ってきましたが、現在は夫の仕事の関係で子どもと三人でセブ在住。


  • ヘルメット着用の見学も NEW!
  • 若き日のバルカン半島の旅
  • ふと思い出すのはなぜかこんなホテル
  • フィリピンの誕生日パーティー事情
  • 憧れのダンサーと同じホテルに!
  • 私が泊まった「可笑しな」ホテル
  • アレレも楽しいセブのホテルライフ
  • 思い返せば、旅人生だったOL時代
  • ホテルを身近に感じるチューヅマ・ライフ
  • パーティーシーズンを満喫した独身時代
  • カリブ海リゾートでおひとりさま
  • 思えば、9・11にはボストンで遭遇
  • しばらくお預けのデザインホテル
  • 初めての赤ちゃんとお泊まり♪




  • ■ヘルメット着用の見学も


    五月にパレスホテル東京がリニューアルオープンし、今秋には東京ステーションホテルも新しい姿を見せます。新規オープンのホテルはもちろん楽しみですが、リニューアルするホテルには、改装にしろ、建て替えにしろ、温かい気持ちになります。リサイクル精神を(勝手に)感じてしまうのです。

    十数年前の話ですが、大晦日にリスボンで宿泊したインターコンチネンタルホテルは、一晩明けたら別のホテルになっていました。年明けとともに「フォーシーズンズ」がスタートしたのです。しかし、館内には旧名のロゴ入りアイテムが多く残り、ホテルによるのかもしれませんが、名前が変わっても劇的な変化を遂げるわけではないのだと驚いたものでした。

    クローズするホテルに立ち会ったことはありませんが、最後から数人目のゲストになったことがあります。ボストン近郊のベヴァリーという小さな町を訪れたときのことです。私の客室までは室内庭園を横切ってアクセスするのですが、温水プールもあり熱帯雨林のようなもわっとした空気の庭園を気に入っていました。一泊一万円程度で泊まれ、普通に清潔で、対応の温かかった片田舎のホテル。私がチェックアウトした数日後にクローズしたそのホテルを時々懐かしく思い出しますが、戻ることの出来ないホテルと思うと、余計に再訪したくなります。

    クローズするホテルがある以上にオープンするホテルもあります。サラリーマン時代は旅行ガイドブックの編集部にいたので、ホテルのオープン情報は早く入手できました。国内旅行ガイドブックの担当ともなれば、プレス向けのオープニングパーティやオープン前の内覧会などに招待され、様々なホテルを事前に見る機会があります。

    が、私が担当していたのは海外旅行ガイドブック。ホテルがオープンするというだけで、当地まで招待されることはありませんでした。本誌でデビューカタログを担当していると、掲載予定のホテルからプレス向けパーティへ時々招待されますが、交通費は当たり前ながら自分持ち。それだけのためには行けませんよ…。

    海外旅行ガイドブックを担当していたときに面白かったのは、オープン前の工事中のホテルを見られたこと。

    バンコクのペニンシュラ・バンコクと上海のセントレジス上海。どちらも休暇で行った旅行先でしたが、ガイドブックに取り上げる予定のホテルだったのでモデルルームを見せてもらいたいと依頼したところ、工事中のホテル内を案内してくれました。

    バンコクのペニンシュラ・バンコクでは、ツアーの最中に、ホテルスタッフ希望者でしょうか、面接者の列に遭遇したり、広報マネージャーを紹介していただいたり。紹介していただいたお顔には見覚えが!? 数年前にお会いしたオリエンタル(現マンダリン・オリエンタル・バンコク)の広報マネージャーでした。対岸から移って来られたのね…。

    上海のセントレジス上海では、まだまだ工事が進行中で、ヘルメットをかぶってのツアーとなり、なかなか出来ない体験をしました。

    その数年後、セントレジス上海に宿泊したときには、工事中の面影がなくて(当たり前ですが)、こんなにステキなホテルになったのねーとしみじみとした気分になりました。


    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.92 2012年6月発行号より



    ■若き日のバルカン半島の旅


    モンテネグロのスベティ・ステファン島にとうとうアマン・スベティ・ステファンがグランドオープンしたと聞き、胸が高鳴りました。村瀬さんの著書で島の要塞ホテルを知って以来、長年行きたいと思っていたところ。実際、二〇〇四年に試みたことがあります。予約を入れようと、ネットで調べたホテルの番号に電話をしました。いくつかの番号に掛けましたが、どこにかけても不通でした。

    その当時、バルカン半島に興味を持っていました。転職前の時間がとれるときに一ヶ月近い旅に出て、セルビア(当時はセルビア・モンテネグロ)、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアなどを回りました。

    これらは旧ユーゴスラビアの一共和国でしたが、内戦をへて独立しました。セルビアのベオグラードではNATO軍の空爆を受けたビルが残っていたり、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボには、地雷が埋め込まれたビルが放置されていたり…悲しい気持ちになる、色々と考えさせられる旅でした。

    旅行中に利用した宿は、プライベートルームと言われる民家の一室やエコノミーなホテル。交通手段も深夜バスが多く、時間と宿代を同時に節約していました。荷物はスーツケースに詰めていましたが、行動はバックパッカーとさほど変わりません。

    その道中に訪れたドゥブロブニクは内戦の爪痕が残るほかの街と異なり、すでに復活を遂げており、リゾート地 の華やかさが漂っていました。アドリア海の真珠と謳われるのも納得の美しさ。スベティ・ステファン島同様、ここもずっと訪れたかった場所です。社会人一年目に会社の書棚で見つけた雑誌のユーゴスラビア特集を見て以来、私の心を捉えて放さず、ずっとこの地に来ることを思い描いていました。

    「ここでは高級ホテルに泊まって、リゾート気分を満喫したい」と思い、当時の大統領が建てたと聞いたドゥブロブニク・パレスに泊まりました。客室はわりとシンプルですが、ロビーやレストラン、プールから眺めるアドリア海の絶景といったら! すっかりドゥブロブニクに魅了された私は、新婚旅行で再訪したいと思いました。

    さてもうひとつの憧れの地、スベティ・ステファン島にはどう行くのだろう? ドゥブロブニクから島へは南下すればよいはずですが、情報がはっきりせず結局断念。今振り返ると、なぜホテルのコンシェルジュに調べてもらわなかったのか…。今はクローズしていますよ、そんな回答だったかもしれませんが。

    その後、アマンがスベティ・ステファン島のホテルを改装するという話を聞き、「ドゥブロブニクとセットで、新婚旅行で来よう♪」。しかし、幸か不幸かアマンのオープンより前に結婚することになりました…。

    現在はアマンのおかげ(?)でホテルまでの交通情報を得ることができるので、私にとってアドベンチャー的な魅力は薄れたものの、確実に行き着ける場所になったのは嬉しいことです。

    ドゥブロクニクのあとは、アドリア海沿いを走る長距離バスを利用し、中欧へ向かいました。周辺は鉄道が通っていないので、飛行機か車での移動となりますが、機会があればぜひドライブを! 絶景を楽しめます。しかし、私は後ろの席に座ったお兄サンが投げ出した足が臭い、少しバス酔いをしてしまいました…。


    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.91 2012年4月発行号より



    ■ふと思い出すのはなぜかこんなホテル


    暑いセブ島から東京に戻り、年末年始を過ごしました。昨年は娘と私がインフルエンザにかかったのですが、今年は娘と夫がノロウィルスにかかった上、夫と私の実家にもまき散らしてしまいました。日本の冬の寒さを実感しながら、十年近く前に泊まった、暖かく、温かい宿をふと思い出しました。

    初冬に訪れたボストン。このとき初めてYWCAに泊まりました。安宿を利用したことはありましたが、ホステル系は三十過ぎで初。当時、宿泊者は女性限定で、シャワーとトイレは共同、部屋はドミトリーもあったと思いますが、私は個室に泊まりました。地下には食堂があり、セルフサービス方式で学食のようでした。

    寒空の下を歩き回って帰った宿の暖かかったこと。スタッフの対応も温かく、特別なエピソードがあったわけではないのですが、なぜか時々懐かしく思い出す宿です。以前の名は、バークレイ・レジデンスで、YWCAも名前に付いていたと記憶していますが、現在は40バークレイといい、男性も宿泊可能のようです。

    やはり十年ほど前の初冬のこと。出張で、ドイツのフランクフルト近郊の街、マインツへ行きました。二週間ほどの滞在でしたが、休日もなく、夜中の三時、四時に仕事が終わるというのも珍しくないほどのハードスケジュール。このとき泊まったところは、マインツの中心部から少し離れた場所にある、ホテルというより宿。日本でいうと、家族経営の民宿やペンションに近い雰囲気でした。

    滞在当初は簡単なビュッフェ形式の朝食を同僚と共に取っていましたが、そのうちできるだけ長く寝ていたいと思うようになり、ある朝、ダイニングに行くのをやめました。まだベッドのなかにいるときに、コンコンとドアをノックする音が。ドアを開けると、同僚が食事をのせたトレイを部屋に持ってきてくれていました。話を聞くと、英語の話せないマダムが身振り手振りで、「いつもあなたの向かいに座っている人は、まだ部屋で寝ているの? それなら食事を持って行ってあげて」と朝食を揃えてくれたというのです。

    山小屋風の暖かみのある宿でしたが、対応も心温まるものでした。

    ただし、ひとつ困ったことがありました。深夜、部屋に帰ってきた私は、とにかく寒いのでシャワーを浴びようとお湯を出したら…しばらくすると水になってしまったのです。夜中は暖房や温水を止めているとのことでした。

    もうひとつ安宿で心に残っているホテルがあります。こちらは二〇〇四年の夏に泊まったスペインのコルドバのホテル・メスキータ。世界遺産にもなっているメスキータの目の前にあるホテルです。

    館内の廊下には絵画や調度品が飾られ、昼間は差し込む日差しがつくる陰影が物憂い雰囲気。かわいらしいパティオでは朝食も取れます。

    最初は一、二泊の予定でしたが、居心地がよく、結局一週間滞在して、このホテルを拠点にグラナダやセビーリャなどのアンダルシア地方の街を回りました。当時はシングルルーム、一泊六千円程度でした。

    最近はホテル選びとなると、小さな子どもが快適に過ごせることが優先事項となり、外れは少ないだろうと高級ホテルを選んでしまいます。いつの日か自由にホテル選びが出来るようになったときには、心の琴線に触れるような宿にまた出会いたいです。


    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.90 2012年2月発行号より



    ■フィリピンの誕生日パーティー事情


    先日フィリピンのセブ島で評判の高いアレグレに初めて宿泊しました。この一ヶ月間に、誕生日パーティーを二回開催、日本から家族が二度我が家に宿泊。翌週からの義父の滞在(まだ来訪者は続く)を前に、いったんリセットすることが目的でした。私はスパ三昧、主人と娘はプール三昧でリフレッシュ! 

    さて、今回はホテルの話題からそれますが、フィリピンでの誕生日パーティーのお話です。

    フィリピンでもっとも盛り上がるパーティーはクリスマス。その次が誕生日でしょう。日本では誕生日といえば、祝ってもらうもの。こちらではその逆で、誕生日を迎えた人がお世話になっている方々にご馳走をします。

    娘の誕生日パーティーは、日ごろ通っている幼児教室で開催しました。子どもの招待客二十人、付き添いの大人などを入れると五十人超。パーティー会社などでは諸々含まれたパッケージが用意されていますが、娘の大好きな教室で開いてあげたいと思い、手探り状態で準備をすることになりました。

    料理やケーキの注文、ゲームの賞品や手土産を揃え、当日は飲み物や氷の買い出し。手土産にオモチャやお菓子を詰め合わせ、ゲームの賞品(二十個)の包装…とパーティー前は夜なべが続きました。

    苦労の甲斐あって、皆さんに楽しんでいただきパーティーは終了。ひとつ誤算だったのが、ケーキを食べる時間がなくなり、持ち帰る羽目になったこと。帰宅後、住まいのあるコンドミニアムの警備員に配り歩きました。

    こちらのパーティーでは、驚いたことに招待されていない方も来ますので、手土産などは多めに用意します。もうひとつ驚いたのは、フィリピン人は借金をしてまで誕生日パーティーを開くことも。パーティー会社のチラシには「ローン可能」の文言が。

    その二週間後には、主人&娘の合同誕生日パーティーをコンドミニアムの屋外スペースで開催。招待客は主人の会社の方が二十五人ほどで、ほとんどがフィリピン人です。お料理はケータリングに依頼し、お祝い事に欠かせない豚の丸焼きもスペシャルオーダーしました。会社の方が司会を引き受けてくれ、招待客はゲームなどで大盛り上がり。端から見ていると、セクハラ?と思うゲームも多かったのですが、フィリピン人曰く「みんな楽しんでいるので、セクハラにはあたらない」とのことでした…。

    ゲームの賞品は三十個くらい用意しましたが、中身は缶詰やヌードル、お菓子など、簡単なものがほとんど。ちなみに一等は炊飯器でした。

    また、「料理は多めに用意し、招待客に持ち帰ってもらう」フィリピン・スタイルに倣い、招待客は賞品やお料理など、いろいろなものを手に入れ喜んでいました。

    このときも驚いたことがあり、なんとケータリング会社のウェイターがお料理を食べていたのです! ゲームに夢中になっているので気づかれないと思ったのでしょうか。フィリピンでは当たり前なのかと会社のGMに尋ねたところ、「フィリピンでも普通ではありません。クレームをつけます」と言っていましたが、料理を取る際の堂々とした様子は慣れたものでしたよ…。

    パーティー後は娘のオモチャが一気に増えて、これが毎年続いたらどうなるのだろうと不安を抱えつつ、だからお友だちのお家もオモチャだらけなのね、と納得した私でした。


    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.89 2011年12月発行号より



    ■憧れのダンサーと同じホテルに!


    私の趣味のひとつがバレエやミュージカル観賞なのですが、現在住んでいるフィリピンのセブ島ではそのような機会は皆無と言ってもよいほどです。そんなわけで、日本でもお馴染みのサーカス団、シルク・ド・ソレイユがマニラに来ると知り、先日わざわざ飛行機に乗りマニラまで行ってきました。

    滞在先に選んだのはマニラ・ホテルペニンシュラシャングリラなど、国際的なホテルもあるなか、ガイドブックによると、もっとも格式があるとのことで、こちらを選びました。公演会場に近いということも決め手でした。

    ホテルに入ると、たしかにグランドホテル的な雰囲気が漂い、天井も高く広々としたロビーは社交場のよう。が、サービスは一流ホテルとは思えないもので、また客室も湿っぽい感じ…。

    ちょっと暗い気持ちになった私を変えてくれたのは、翌日の朝食のときのこと。白人が多く泊まっているわ?と思いながら、ゲストを見ていると…なんだかスタイルのよい女性が多いのです。贅肉のない身体、引き締まった脚。私たちの隣の席に座った人は体格のよいロシア人っぽい男性と子供。これはもしや…。男性が私の娘に微笑みかけたときに、話しかけてみました。

    予想は当たりました。彼はシルク・ド・ソレイユのメンバーで、スタイルのよい女性たちもそうでした。シルク・ド・ソレイユの大ファンの私はウキウキ。あのステキなショーを見せてくれる彼らが同じホテルに泊まっているなんて! 朝食後にプールに行くと、日光浴をしているメンバーもいました。午後にはショーを見ましたが、日本未上陸の「ヴァレカイ」はスリリングな演目が満載で最高でした!

    その翌朝もレストランやプールで彼らを見かけました。意外なことに主人が私よりノリノリで、「あの人はきれいだな?、あの演目に出ていた人に違いない、ちょっと聞いてみてよ。あの人の筋肉はすごいな。あんなふうになりたい」とかうるさかったです(笑)。 

    ホテルの印象は芳しくありませんでしたが、彼らと同じところに泊まっているという偶然の出来事により、思い出深いホテルステイとなりました。

    私は時々ショー観賞が目的の海外旅行をすることもあります。シルク・ド・ソレイユのほか、ミュージカルやバレエなども好んで見ます。サンクトペテルブルクの宮殿のようなマリインスキー劇場で見たバレエ、ドイツ語で見たキャッツなど、心に残る公演は色々とありますが、日本で人気のあるコメディバレエ(男性だけのバレエ団)の人気ダンサーに一時期はまってしまい、海外公演も何度か見に行きました。

    そのカレがミュージカル、キャッツに出演するということで、シカゴ郊外まで行ったときのこと。劇場はマリオットホテルに付いていて、私の宿泊もマリオット。もちろん出演者もマリオット泊。すでにそのときにはお気に入りのダンサーと顔見知りになっていて、ショーのあとにバーでおしゃべりをしていました。すると、そこに続々と出演者が集まってきます。お気に入りのダンサーは気を利かせてくれ、プログラムにサインを集めてくれました。出演者と一緒に撮った写真も思い出の品です。もうこんな気ままな旅はできませんが、幸い主人もショーが好きなようで、これからは家族で観賞旅行を楽しめそうです。


    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.88 2011年10月発行号より



    ■私が泊まった「可笑しな」ホテル


    先日日本に帰国した際に、「可笑しなホテル」(二見書房発行、ベティーナ・コバレブスキー著、松井貴子訳)という本を見つけました。内容はタイトルそのままに、世界中のユニークなホテルを集めたもの。

    ヨーロッパの古城ホテル、トルコのカッパドキアにある穴ぐらホテル、北欧の氷のホテルなど、日本でも知られたものから、アフリカのサバンナに建てられた櫓、ドイツの星空の下で眠るホテルなどの屋外系、旅行用トランクの巨大版や運河に浮かぶカプセル、砂漠にあるUFOに滞在する箱物系など全二十四軒が紹介されています。

    それらに混じり、見覚えのある写真が。ドイツのライン河沿いの町、リューデスハイムにあるワイン樽のホテルです。リューデスハイムはかわいらしい町でワイン酒場が集まるつぐみ横丁はいつも大勢の人で賑わっています。その一画にあるホテル・リンデンヴィルトにワイン樽をリノベイトした客室があります。

    大学卒業後、勤めた出版社で旅行ガイドブックを制作する部署に配属されすぐにヨーロッパ出張に行くことになりました。たしかリューデスハイムまでは十名近い団体行動だったと記憶しています。ホテルに着いたとき、現地のガイドさんが「ワイン樽を改装した部屋もあり、予約していますよ!」と誇らしげに私たちに告げました。

    しかし、皆の反応は控えめ…。私ともうひとり先輩だけが「泊まってみたいです!」と喜んでいました。ウキウキした気分で客室に入りましたが…あまりの圧迫感に早々にリタイヤ。申し訳ない気持ちで、ガイドさんにお部屋の変更をお願いしました。

    「可笑しなホテル」…こんなタイトルを目にしたことで、記憶にあるユニークな宿を辿ってみました。

    最近では、シンガポールで見たマーライオン・ホテル。ホテルといっても一室のみで、マーライオンの上部が客室に出ています。観光客向けの見学スポットかと思いきや、一日一組は泊まれるとか。インテリアはコロニアル+チャイニーズといった趣で、日本人デザイナーが担当したそうです。遮るものがなくマリーナ・ベイを望めますが、日中は観光客が押し寄せる客室に宿泊するのは落ち着かない!?…話のネタに泊まるというかんじでしょうかね。

    そのほか思い出すのは…オランダ名物の風車を改装したホテル、改装した工場内に設置したキャンピングカーが寝室になっているベルリンのホテル、パリに以前登場した期間限定ホテルは博物館の上にありましたね、昨年ローマではゴミを集めた(ゴミでデザインした?)ホテルが話題になりました…。面白いホテルは色々ありますが、泊まってみたいかは別ですね。

    ずっと気になっているユニークなホテルは、トルコのリゾート地、アンタルヤにあるクレムリン・パレス。モスクワのクレムリンを模したホテルです。

    数年前にドゥブロブニクのホテルのプールでひとり泳いでいたとき、話しかけてきたトルコ人パイロットに勧められました。ロシア好きな私はいつか泊まってみたいと思っているのですが、ホテルのウェブサイトをのぞくと、海でバナナボートに興じている人の背後にソ連的な建物が立っている風景は奇妙な感じ…。ここの系列にはイスタンブールのトピカプ宮殿を模したホテルもあるようです。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.87より



    ■アレレも楽しいセブのホテルライフ


    フィリピンのセブ島では、有名ブランドに似せたロゴをしばしば見かけます。車窓から一瞬見ただけではロゴの印象が強く残ります。

    「イタリアのファッションブランドのMAX&Co.がセブにもあるの?」と思いきや、よく見るとスペルが異なります。アパレルブランドのOshKoshかと思ったら、KoshKoshという名のクリーニング屋だったり…。どちらも字体をそっくりにしているのです。

    ホテルについても同様のことがありました。「ここにハロッズホテルを建設中?ハロッズってホテルを展開していたの?」と私。しかもこんなところに?と思ってしまうような場所。しかしネットで調べて見るとハロッズではなく、ハロルド・ホテルでした。

    後日ホテルの前を通ったとき、ホテルはオープンしていましたが、やっぱりぱっと見た印象はハロッズでした。字体やカラーまで似せています。主人は運転席で「だってセブだから」と笑っていました。

    セブでは、日本にいたときよりもホテルのレストランを利用する機会が増えました。やはり街中のレストランより安心、安全、清潔。

    小さな子供が一緒でも気軽に利用できるのもよい点です。こちらの人は子供好きな人が多く、レストランではお客さんが少ないときは親が食べている間に子供をあやしてくれます。ホテルのレストランは、ビュッフェ形式以外は人手が余っていることが多いようで、娘もスタッフの人たちに抱っこされていつも大喜びですが、日本では考えられない光景です。

    話は変わりますが、いわゆるセブ島旅行というのは隣のマクタン島のホテルに滞在するものが多く、ここで最高級とされているのはシャングリ・ラのようです。

    近くに韓国資本のインペリアル・パレスもあり、ロビーの雰囲気などがシャングリ・ラに似ています。それもそのはず、シャングリ・ラに宿泊したゲストが不満に感じた部分を解消しようと、自分の理想とするホテルを作ったという話。客室はゆったりとしていて、レストランはどこも美味。プールはウォータースライダーが充実していて、子供がとても楽しめそうなホテルです。

    主人の会社が周年行事パーティの開催場所をインペリアル・パレスでと、検討していたときに、会社の方がセールスマネージャーと会ってビックリ。十五年前の周年行事パーティの際の担当者と一緒だったそうです。

    十五年前の会場はシャングリ・ラだったのですが。主人は「セブはこんなもんさ」と苦笑していましたが、ホテル業界には多い話なのよ、と言っておきました。私もペニンシュラ・バンコクのセールスマネージャーにお会いしたら、オリエンタルの元セールスマネージャーだったということがあります。

    日本の常識では考えられないことがあると、主人とは「セブだからね!」と言い合う毎日ですが、先日は心温まる話がありました。

    三月下旬にラディソン・ブルーに行ったところ、東日本大震災の義援金を集めるために、ロビーでオークションを行っていました。また新聞で読んだ記事では、どこかの団体から支援を受けて生活をしている子供たちが、一日約二十四円のお小遣いのなかから毎日二円を募金しているということでした。そのあとも同様の記事を何度も見かけました。

    アレレなことも多い毎日ですが、温かい人も多いフィリピンです。優しい思いはきっと日本まで届いていることでしょう。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.86より



    ■思い返せば、旅人生だったOL時代


    主人の転勤でフィリピンのセブ島へ引っ越すことになったので、十五年以上携わってきた海外旅行ガイドブック編集の仕事から離れることになりました。

    働いていたころは、友人などに「海外にしょっちゅう出張で行けるんでしょう? 羨ましい仕事ね」と言われたこともしばしばでしたが、実際の仕事は、企画・進行管理・原稿の出し入れ・総チェックなどで、本の一部を執筆・撮影することはあっても、大部分はその道のプロ(取材者、カメラマンなど)に依頼していました。自分で執筆・撮影をする場合は、私自身もその地域へ行き、朝から晩まで動き回っていました。

    記憶にあるもっとも暑い取材は、七月の三十度を超えるローマでの歩き回る取材。夜の十時過ぎにホテルに戻り少しベッドに腰掛けたら…眠ってしまい気づいたら朝、という毎日でした。イタリアらしさを感じる、テルミニ駅近くのアールデコ・スタイルのホテル・メディテラネオに宿泊していましたが、もちろんホテルライフは満喫できませんでした。再訪する機会があったら、今度こそヴァチカンまで見渡せるルーフトップのバーで、ワインでも楽しみたいな…。

    反対にもっとも寒かった取材は初冬に行ったロシアのサンクトペテルブルク。外での取材も多く、雪もちらつく零下十度のなかを歩き続けました。

    このロシア取材は全体を通してもホテルが印象的です。宿泊したのはホテル・モスクワというソ連的なホテル。殺風景でサービスの概念はスタッフにはなさそうです。しかし、立地とそこそこの値段、いちおう清潔、ということで、日本人ビジネスマンの利用も多いようです。

    対してモスクワで宿泊したヒルトン・モスクワ・レニングラーツカヤは、ここがロシアのホテル? と思うほど近代的、かつ歴史を感じさせる壮麗さも兼ね備えていました(サービスはイマイチ)。といっても、モスクワにはリッツカールトン、ハイアット、ケンピンスキーなども進出しているので、ヒルトンよりも豪華なホテルもあることでしょう。

    話はサンクトペテルブルクに戻りますが、ここではホテル取材も行ったところ、スタイリッシュで泊まってみたいと思えるホテルが何軒もあったのは意外な驚きでした。

    海外出張は多いほうではありませんが、それぞれの出張、そして宿泊したホテルは思い起こすと感慨深いものがあり、とめどなく語ることができそうです。

    最後に、もっとも唖然とした出来事を。ホテル話から外れますが、中国の広州に市政府の招待でジャーナリスト団が訪問したときのことです。副市長へのインタビューという機会が設けられていたのですが、前日に質問が配られ、誰がどの質問をするかも決められたのです。際どいことを尋ねられると困るのか、いや回答できない質問だと困るからか、と色々思案しました。

    当日のインタビューのとき、私たちは抗うことなく予定通りの質問をしていきました。しかし、副市長は事前に決まっていた質問なのに答えられないものもあったのです…。なんというオチでしょう。

    ちなみにこのときは広州で二軒のホテルに泊まりましたが、ホテル・ジャンキーにあるまじき行為ですが、ホテル名を覚えていません(汗)。中国系のホテルだったのと、そのうちの片方のホテルはその後、北朝鮮の金正日総書記が泊まったということは記憶にあります…。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.85より



    ■ホテルを身近に感じるチューヅマ・ライフ


    主人が海外勤務となり、このたび、家族でフィリピンのセブ島へ引越しをしました。私は退職し専業主婦になり…いやチューヅマ(駐在員妻)になったわけです。

    セブ島といえば日本人には知られたリゾート地。しかし、セブ島ツアーと銘打っている旅行ツアーのほとんどは、セブ島と橋でつながるマクタン島のリゾートホテルに泊まるものです。私たちが住むセブ島のセブ・シティはリゾート地ではなく、生活に必要な施設が色々とそろっている、住むには便利な場所です。

    家具付きのコンドミニアムが新居となったのですが、セブ島到着後はすぐに住める状態ではなく、車で五分ほどのホテルマルコ・ポーロ・プラザ・セブに数日間滞在しました。

    日用品や掃除用具を買いそろえるため、ショッピングセンターへ出向き大量の買い物をし、コンドミニアムに運び、ホテルへ戻り夕食…という毎日でした。

    セブ島では、SM(エスエムと呼びます。ドッキリする呼び方ですが、慣れました)とアヤラというショッピングセンターがメジャーで、デパートもスーパーも入っているので、だいたい用は足ります。どちらも大規模なので、歩き疲れる体力勝負の日々。

    職業柄か、いつもはホテルに泊まると館内の施設を一通り見ますが、このときばかりは余裕がなく、スパで疲れを取りたかったのですが時間もありませんでした。

    通常ホテルに宿泊した際でも食事は外で取りますが(いろいろなところを見たいので)、今回はホテルに戻ったあと外に出る元気がなくて(ないないづくし)、ホテルのレストランへ直行! 

    ロビー階にはラウンジのほか、ビュッフェ形式のレストラン「カフェ・マルコ」と、屋外のプールに面したイタリアンレストラン「エル・ヴィエント」があります。

    「カフェ・マルコ」は料理の種類が豊富で見ているだけでも楽しめます。「エル・ヴィエント」はテラス席もあり、ライトアップされて幻想的なプールの脇でおいしいお料理をいただけます。半屋外の造りで、セブ・シティの夜景を一望できる「ブルー・バー&グリル」は最上階にあります。ブルーのライトに照らされムーディー。

    無事コンドミニアムに移った後も、ホテルは食事をする場としても大活躍です。日本では街中のレストランでも当たり前な「清潔」「安全」「安心」などが、セブ島のレストランではなかなか難しいことも多く、もちろん探せば見つかるはずですが、移り住んでまだ日が浅いので、手っ取り早くホテルのレストランを利用することが多くなりました。

    最近のお気に入りは、SMに隣接して昨年九月にオープンしたラディソン・ブルー・ホテル・セブのロビー階にあるレストラン「フェリア」です。

    こちらのホテルにはラウンジなどはありますが、レストランは一軒のみ。ビュッフェ形式で、前菜などは一皿ごと取り分けて置かれているものも多く、凝ったデザインのお皿に盛り付けられていて女心をくすぐります。お味もなかなか。

    東京に暮らしていたときより、ホテルを身近に感じるセブ島生活ですが、ひとつ残念なことが。越して来てからはまだホテルのスパを利用できずじまいです。週末は主人に子どもを見てもらえますが、男手があるときとばかりに足りないものを買いにショッピングセンターを歩き回っています。優雅にスパで癒される日が来るのはいつのことか…。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.84より



    ■パーティーシーズンを満喫した独身時代


    寒さは増していくけれど、私にとってはワクワクする季節の到来です。
    冬のこの時期はクリスマスパーティー、カウントダウンパーティーというホテルが舞台のパーティーを楽しみにしています。クリスマスパーティーはほぼ毎年ホテルジャンキーズクラブが主催のものに参加しています。

    ホテルのカウントダウンパーティーは出席したいと思いつつも、今までで三回。

    思い出深いのはリッツカールトン上海ペニンシュラ香港でのパーティーです。台北の圓山大飯店のものにも参加しましたが、地元の方を対象にしたカジュアルスタイルだったのに対し、これらはドレスアップをして出席するきらびやかなパーティーでした。

    リッツカールトン上海のパーティーは、節目の二○○○年で、ミレニアムパーティーとなったのもゴージャスさに輪をかけていたのでしょう、広いボールルームで、ウィンナーワルツなどを奏でるオーケストラの生演奏付きの一夜。着席式のフレンチのフルコースをいただきながらパーティーは進んでいき、総支配人の音頭で新しい一世紀が幕を開けました。

    このときの同行者は母(涙)。日本人の参加者は二組だけで、私と同い年の男性もご家族で参加されていました。カウントダウンの後は演奏も盛り上がり、ボールルームの前方はダンスフロアと化しました。私たち日本人チームも加わり深夜一時ごろまで演奏やダンスが続きました。パーティーが始まる前には、ボールルームの外にお祭りの出店のようなものが立っていた演出もステキでした。

    このミレニアムパーティーは、宿泊と別にもうひとつ感慨深い(?)ことがあります。本誌一五号から一八号に渡り「ミレニアムホテルハンティング」なるものを書かせていただきました。世界各地のホテルのミレニアムパーティの内容を事前にチェックし、ホテル選びと実際のパーティーをレポートする、というものでした。今では信じられませんが、第一回では十ページも書きました…。

    香港のペニンシュラ香港のパーティーに参加したのは、○九年のカウントダウンパーティーです。ホテルのレストランやバーそれぞれで催され、私たちはザ・ロビーでのパーティーに参加しました。お料理はこちらもフレンチのフルコースでしたが、残念ながら特別おいしいものではありませんでした。でも、パーティの雰囲気、飾り付けなど香港を代表するペニンシュラならではの華やかさが魅力的でした。

    バンドの演奏はビヨンセやユーロビートなど。音楽がにぎやかになったときには私たちもフロア中央へ向かい、みんなで輪になり(私はヨーロッパ系のすてきなおじい様の腰に手を回し)、曲に合わせてステップを踏み盛り上がりました。

    カウントダウンはホテルのエントランスで。他のレストランでのパーティーに参加していたゲストたちも出てきて、小さなシャンパンボトルで乾杯をしました。

    どちらも忘れられないパーティー。ペニンシュラでは独身時代に今の夫と参加し、「またペニンシュラのパーティーに参加したいね。でも他のホテルのパーティーにも出てみたいね」と話していましたが、子供が小さいうちはカウントダウンパーティーに出るのは難しそうです…(涙)。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.83より



    ■カリブ海リゾートでおひとりさま


    海外旅行といえばリゾートより断然シティ派の私ですが、カリブ海リゾートに憧れた時期がありました。

    当時は仕事が忙しく、毎晩深夜帰りで休日出勤も多い日々でした。仕事の疲れを取りたい、たくさん眠りたいと思い、「ベッドに寝転び、碧く美しい海を見ながら」眠りにつきたいと考えるようになりました。

    そこで思い浮かんだのがカリブ海。夏休みの三日ほど前に思い立って航空券を手配し、カリブ海はジャマイカのモンテゴベイへ行くことにしました。

    モンテゴベイといえば、ハネムーナーやカップルが多いリゾート。ここで問題発生。一緒にリゾートへ行く相手がいない! すっかり心はカリブ海に飛んでいたので、旅先を変えることもできません。しかし、ひとりでラーメンを食べる、仕事後の深夜ひとりでお寿司屋さんで呑み&夕食など、「おひとりさま」に慣れてしまった私は、カリブ海リゾートへもひとりで行くことにしました。

    ここで困ったのがホテル選びです。オープンしたてで泊まりたかったリッツカールトン・ゴルフ&スパ・リゾート・ローズホール・ジャマイカは満室。ほかの高級ホテルは、二人一室のオールインクルーシブタイプばかり。急きょ旅行を決めたためホテル探しをする時間もなく、現地で決めよう、ととりあえず飛行機に乗ったのでした。

    モンテゴベイの空港には運よくホテル案内所があり、海の見えるホテルをリクエストしました。

    案内されたのは、一泊百ドルくらいの宿。特筆すべきことはないけれど、ベッドの上から海を眺められるという希望に合ったホテル! 

    チェックイン後はさっそくベッドに横たわり、海を見ながらそのまま昼食も夕食もとらずに十二時間ほど熟睡。いったん目覚め、さらに朝までまた熟睡…。

    翌日からは寝て食べて呑んで…とゆったり過ごしました。ホテルのバーの居心地がよさそうだったので、昼間に利用しました。ジャマイカ名物のピニャコラーダを呑みながら考え事…。何をするでもないけれど、のんびりとした至福のときでした。

    モンテゴベイ最後の夜は、その晩だけ空きがあったリッツカールトンへ。エントランスに入った瞬間に、ロビーの窓の向こうに広がる海がゲストを出迎えるリゾートです。ホテルはオープンしたばかりでしたが、サービスはよく、ひとりで散策しているとスタッフがリゾート内を案内してくれることもありました。

    チェックアウト時、ベルマンに「今年のクリスマスにまたいらしてくださいね!」とお茶目に言われ笑顔を返してから十年。再訪はできていませんが、また泊まってみたいと思う気持ちは変わりません。

    おひとりさまでも十分楽しんだカリブ海リゾートでしたが、次回はオールインクルーシブのリゾートで、ひとりでは泳げなかった海にも行き、カリブ海らしさを存分に満喫したい!

    仕事の疲れを取るという当初の目的は、遠くのカリブ海まで行ったため達成できたかどうか…。しかし、カリブ海にはまった私はその翌年もひとりでプエルトリコのサンファンへ向かいました(帰路に寄ったボストンで9・11が起き、休暇どころではなくなったのですが…)。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.82より



    ■思えば、9・11にはボストンで遭遇


    前号の徹@ロンドンさんのレポート「アイルランド噴火 誰も予想がつかない日々」を拝見し、二〇一〇年の9・11の同時多発テロのことを思い出しました。

    当時私は夏休みの一人旅の最中で、ボストンにいました。オープン直後のリッツ・カールトン・ボストン・コモンに泊まり、ラッキーなことにクラブフロアにアップグレードしていただきました。

    ボストンを発つ朝、空港に到着すると、チェックインカウンターは長蛇の列。出発時刻が過ぎても、列は一向に前へと進みません。見渡すと空港全体が混雑しています。次第に「ニューヨークで爆発があった」「ツインタワーに飛行機が突っ込んだ」「テロがあった」など、周りがざわつき始めました。そのうち空港職員が「全米中の空港を閉鎖します! Go home!」と叫ぶように伝えました。

    テロが起きたとは知らず、航空会社に宿を用意してもらえるよう掛け合ったところ、「何を言っているの? ナショナルエマジェンシーなのよ!」と取り合ってもらえませんでした。そこで昨夜宿泊したリッツ・カールトン・ボストン・コモンに連絡を入れ、もう一泊泊まることにしました。

    通常の何倍もの時間をかけて、ホテルに戻りました。ホテルシャトルの車中でラジオを聞き、錯綜していると思った様々な情報はすべてが真実だったことを知りました。

    昨晩と同じ部屋に通されテレビをつけると、飛行機がワールドトレードセンターのツインタワーに突っ込む様子が映し出されており、現実とは信じられませんでした。

    状況を把握して落ち着くと、クラブフロアのデスクへ向かいました。パワーチップを渡し、翌日のフライトへの変更を依頼しました。数時間後には予約が取れたので一安心したのですが、結局、ボストンの空港はなかなか再開されず、一週間ほどホテルでの滞在を余技なくされたのです。

    テロ事件後、クラブフロアのゲストは日増しに少なくなり、私一人しか泊まっていないかのような静けさでした。あるとき外からホテルへ戻ると、クラブフロアのスタッフが、「今晩はラウンジへいらっしゃいますか?」と尋ねてきました。

    部屋でくつろいだあとラウンジへ伺うと、私のお気に入りの席には飲み物が置いてあり、珍しく先客がいるようでした。しかしラウンジには私のほかは誰もいません。それは、スタッフが、私がいつも飲んでいるワイン二種類と軽食をいつもの席に置いてくれていたのです。朝食のときも尋ねられることなく、好みの紅茶を用意してくれるようになっていました。

    いつ帰国できるかわからないため、高級ホテルに泊まり続けるのは懐が不安になり、途中ホテルを変わろうかと考えたこともありました。しかし、リッツ・カールトンのスタッフの応対が温かく心強かったため、滞在し続けてしまいました。

    それにしても一週間もアップグレードしたままにしてくれるとは太っ腹ですね。私が宿泊していた間、ホテルの裏側はどのような様子だったのでしょうか? もともとリッツ・カールトンのファンだった私ですが、それ以来、特別なホテルとなったのです。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.81より



    ■しばらくお預けのデザインホテル


    子育てに追われる日々は想像以上に充実した毎日ですが、「今まで楽しんできたけれど、もうできないこと」を懐かしく思い出すことが多々あります。「もうできない」というより「今後数年はできない」というところでしょうか。友人との夕食、気ままな一人旅、量を気にすることなく飲むお酒などなど。

    ホテルに関しては、「デザインホテルに宿泊」は当分できなさそうで、今まで泊まったデザインホテルを時々思い返します。

    もちろん子連れでも泊まれるでしょうが、私にとってデザインホテルはすべてにおいて快適な空間ではないので、赤ちゃん連れで楽しめる空間ではないと思います(もちろんホテル側も困るでしょうが)。

    狭いけれどサプライズのあるインテリア、デザイン重視で機能性が少し欠ける照明や電話、ゲストへの応対にムラがあるけれど会話が弾むスタッフ…。見方を変えれば欠点となる箇所も含めて、「カッコいいんだし、結局楽しく過ごせたからいいじゃん!」と思ってしまう、私がハッピーに滞在できたデザインホテルは、そんな泊後感をもつことが多かったです。

    ホテルに集まる人々を見るのも楽しみのひとつ。おまけにホテルのスタッフ、レセプションや、特にドアマンには見た目ステキな人が配置されていることも多く、ピープル・ウォッチングも楽しめます♪

    私がデザインホテル好きになったのは二○○○年ごろ。本誌では以前よりイアン・シュレイガー(ホテリエ)やフィリップ・スタルク(デザイナー)といった名がよく出てきていましたが、一般雑誌でもデザインホテル特集が組まれ始めた頃です。

    デザインホテルに感化されていた私は、十年前の今ごろの季節、ロンドンにデザインホテル巡りの一人旅に出かけました。

    コンラン・ショップでも有名なテレンス・コンランのグレート・イースタン・ホテル(現アンダズ・リヴァプール・ストリート)、シュレイガー&スタルクが手掛けたセント・マーティンズ・レーンサンダーソン。どこも当時の私には新鮮に感じられ、そして、今でも再訪したいと思わせるホテルでした。残念ながらグレート・イースタン・ホテルは、現在はハイアットによるアンダズとなりましたが…。

    シュレイガーとスタルク、デザインホテル関連ではこの二人ほどよく名を聞く人はいないように思います。

    シュレイガーがモーガンズ・ホテル・グループを率いていたころは、スタルクがロンドンの2ホテルのほか、NYのロイヤルトン、ハドソンなどのデザインを担当しました。○五年にシュレイガーはグループを去り、別の会社を興しました。最近は二人の手によるホテルの話は聞きませんが、またこのコンビによるサプライズのあるホテルに泊まってみたいなと時々思います。

    ちなみに過去宿泊したところで、私の好きなデザインホテルは、上記のロンドンの3ホテルのほか、タリン(エストニア)のスリー・シスターズ・ホテル、ヴェネツィアのカ・ピサーニなどです。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.80より



    ■初めての赤ちゃんとお泊まり♪


    今までひとり泊まり、母娘旅行、海外出張などでホテルを利用してきましたが、基本的にはひとりでリラックスして楽しんでいたホテルが、結婚・出産をへて家族で行くところになってしまいました。

    三月の連休に、オープン以来、気になっていたとシャングリラ東京に泊まりに行ってきました。娘は生後五ヶ月。 赤ちゃん連れでホテルを楽しめるのか? 娘のファースト・ステイは、新米ママの私のドキドキとともに始まりました。

    赤ちゃん連れなので、サービスがきめ細かいほうがいいだろうとホライゾンクラブフロアにしました。チェックインは専用フロアで、娘をあやしながらゆっくりと。「クラブラウンジヘは赤ちゃんも一緒に来て大丈夫ですか」と尋ねると、「ベビーカーを置ける席もありますので、大丈夫ですよ」とのこと。

    予約後には「ベビーベッドはご入用でしょうか?」とメールで問い合わせが入り、客室にはベビーベッド、オムツを捨てる専用ボックス、そして、ベッドの上にはバスローブを着たベアが置いてあり、オレンジのかわいらしいトラベルポーチに乳液やローションなどが入った赤ちゃん用のアメニティも。

    客室は落ち着いたインテリアだけどおしゃれ! 

    特に気に入ったところが二つあります。
    ひとつはソファー。窓際にある緩やかなL字型で、なんとも優雅な雰囲気。
    もうひとつは室内の引き出し。部分的に革にステッチが入っていて、エルメス風のデザインでおしゃれ。大好きなRホテルのインテリアより気に入ってしまった…。今まで泊まったシャングリラは、ロビーでは中国人が賑やかにしていてフレンドリーなイメージがありましたが、東京のホテルはさすが高級感がありました。

    夕食は、客室でルームサービス。レストランの料理もオーダーできるということで、イタリアン「ピャチェーレ」の前菜、パスタ、メインを頼みました。一品四千円近く、メインは七千円ほどするのに、どれもお皿に見目麗しくチョコチョコと。ですが、味はとてもよかったです! 夫と次はあの雰囲気のよいレストランで温かい料理を食べてみたいね、と盛り上がりました。

    今回はひとつ失敗があり、娘のミルクを自宅に忘れて来てしまいました。しかも、気づいたのは夜遅く。夫が買いに出かけましたが、開いていた薬局にはありません。

    ホテル慣れしていない夫はクラブフロアのスタッフに相談せず、ロビーで相談したのですが、あちこちに連絡を入れて調べてくれたそうです。

    チェックアウト後、私は CHI スパでトリートメントを受け、三時間ほどゆったり。ラウンジはチェックアウト後も利用できるとのことで、夫はここで娘の子守。

    久々のホテルステイを楽しめました。今までと異なる視点からホテルをチェックし、楽しむこともできたのは、新たな発見でした。

    情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.79より


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