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ホテル情報誌「ホテルジャンキーズ」
特集記事より


■ 特集 インドのホテル
  外資系5ホテルチェーン
  VS インド資本ホテル ■



いま世界経済のなかで、中国と並んで最も存在感を増している国、インド。急速に発展をとげる巨大な市場をめざして海外からの投資がふくらむ一方で、最近はインド資本の海外攻勢も目立ちます。

M&Aを駆使して世界最大の鉄鋼メーカーとなったアルセロール・ミタル、世界で最も安い28万円の乗用車を開発したタタ自動車など、インド企業の躍進には目を見張るものがあります。

今やこうしてグローバル・プレイヤーとして力をつけたのは、製造業だけではありません。実は、ホテル、リゾート業界においても「インド」は関係者の間では要ブックマーク的存在になっています。

アマンリゾーツの株式の50%を昨年買収したインド最大の不動産ディベロッパー、DLF。アメリカの名門ホテルを次々に買収し、最近はオリエント・エキスプレス社にも触手をのばして話題になっているタタ財閥のタージ・ホテルズ。海外進出を狙う新興ホテルチェーン。そして、グローバルなネットワークを駆使してホテルREITを手がける印僑たち。

力をつけたインド企業と富裕者たちの眼は海外に向いており、水面下ではさまざまな動きが進んでいます。そんな世界の注目が集まるインドを今回は取り上げてみました。



外資系5ホテルチェーン
都市別進出度


都市別では首都のニューデリーと経済の中心ムンバイが並んでトップを占めた。3位はインド洋に面した港湾都市チェンナイ。これに続く、ジャイプール、ゴア、アグラはすべてインド観光の拠点都市である。


外資系5ホテルチェーン
インド進出度



スターウッド(20)
インターコン(13)
ヒルトン (8)
マリオット (6)
ハイアット (4)



スターウッドが20軒で突出しており、現在開業予定のホテル数も7軒と、インドにおいては大きな存在感を持っている。インド人の間でも「シェラトン」はオベロイやタージと並ぶ高級ホテルブランドとして浸透している。2010年までにさらに50軒のホテルの開業を計画中で、インド進出には強い意欲を見せている。

ブランド別では、これまではシェラトンとメリディアンが多かったが、今後開業予定のものはウェスティンが3軒、シェラトンとアロフトがそれぞれ2軒ずつ。IT ビジネスの拠点都市バンガロールでは4つのブランドがそろうことになる。

2位は、インターコンチネンタル。ブランド別では、インターコンチネンタルが6軒、ホリデイインが5軒、クラウンプラザが2軒。

3位のヒルトンの場合、8軒中7軒を占める「トライデント・ヒルトン」は、インド資本のオベロイ傘下にあるビジネスホテル・ブランドなのだが、ヒルトン・グループの予約ネットワークに入っているため、このカテゴリーに含めた。ヒルトンはインド最大のディベロッパーであるDLFと組み、向こう7年間に75軒のホテル開業を計画している。

4位のマリオットは計6軒だが、中国への猛攻勢ぶりに比べると進出度の低さが目立つ。

5位のハイアットは、ハイアット・リージェンシー・ブランドはニューデリーとコルカタの2軒だが、ニューデリーの場合、空港に近い郊外ホテル。グランドハイアット・ブランドは、デリーのホテルが運営をはずれたので、現在はムンバイの一軒のみ。パークハイアット・ブランドはビーチリゾートのゴアに一軒。向こう数年内に15軒のホテルを開業予定。

*上記の調査は2008年1月30日から2月2日にかけて実施しました。


ロンドンにだって負けない
「世界一高い」といわれるホテル代



インドといえば、従来は旅行者にとって、「物価が非常に安く、豪華ホテルにも安く泊まれるところ」というのが一般的な認識でしたが、それも今や昔。ここ二、三年は、スタンダードクラスのホテルですら、一泊400ドル、500ドルもするのは珍しくはありません。トップクラスの五ツ星ホテルともなると、ふつうの部屋でも600、700ドルは当たり前で、ITビジネス拠点のバンガロールなどではピークシーズンともなると、時には800ドル以上にはねあがることも。

こうしたインドのホテル価格高騰の原因としてあげられるのは、次の二つです。

まずひとつは、ホテルの絶対数の不足。
外国人が日常のライフスタイルを維持して過ごせる条件を満たしたホテルを…となると、まったく数が足りません。

そもそもインドの場合、外国人客とインド人の中でも突出した富裕層を客層とした高級ホテルか、地元ではインディアン・ホテルと呼ばれるインド人客を対象とした廉価なホテル、これら二つに二極化しており、その中間にあたる100ドルから200ドルクラスのスタンダードホテルが圧倒的に不足しているという問題があります。そのため、一般社員クラスのビジネス出張客を受け入れるホテルが他の海外都市のように充分になかったところにもってきて、ここ数年来の経済急成長によって需要が高まり、完全な「入超」状態が起きたわけです。

観光目的の旅行であれば、ホテル代が上がって高いと思えば、行先を変えたり、旅行をとりやめたりする選択がありますが、ビジネス出張の場合はなかなかそうもいきません。現地のランドオペレーターによると、「とにかくどこでもいいから取れるホテルを取ってくれ」と予算上限なしで依頼してくる企業もあり、いきおい一般社員クラスの客層が幹部クラスが滞在するような高級ホテル枠にまで侵食するようになります。現在、五ツ星クラスのホテルでは変動相場制を取っているところが多く、需給バランスで価格が決まっていきますので、レート高騰はおさまらないのが現状です。

この辺のインドのホテル事情をグローバル・ホテルチェーンも黙って指をくわえて見てはいません。次々と新しいホテルの開業計画を発表しています。しかし、ほとんどの新ホテルが実際に開業するのは来年以降です。

そして、ホテル価格高騰の二つ目の原因は旅行客の急増です。
人件費の高騰で外資企業のインド進出熱も冷めてきたとも言われていますが、外資の進出は、より深く、より広く浸透しつつあります。その中心となっているのが、アメリカ、日本、ドイツ。アメリカにおけるIT産業はインドなくして成り立たないと言われているほど、インドのIT技術者が担っている役割は大きく、さらに、英語と数学に強いインドにコールセンターや事務処理センターを置く外資企業も増えています。ドイツと日本が主に関わっているのは、経済の基盤となるインフラ整備に関わる事業や自動車産業などです。

一方、観光客でここのところ目立って増えているのは、海外旅行が一般にも開放され海外旅行熱が高まっている中国人と韓国人です。今のところツアー客がほとんどですが、彼らによってスタンダードクラスの需要がはね上がっています。

そして、経済成長によって生み出された地元インド人の富裕層の増加。これまでは高級ホテルを利用するようなインド人は非常に限られていましたが、豊かな層が増えるに従い、彼らもまた高級ホテルの客層となって参入してきています。

ただでさえホテルが足りないうえに、次々と生まれる新しい需要。こうして、もはや世界一と言われる高いホテル代に拍車がかかっています。


外資系ホテルが可能性をもつ
インドの文化的バックグラウンド



外資系ホテルが増えつつあるのは、これまで述べたような経済的要因に基づくものですが、インド社会にはそれを加速し、支える文化的バックグラウンドもあるように思われます。

元来、インド人はかたくなに自分たちの価値観やライフスタイルを変えない保守的な人々というのが、自他共に認める一般的な考え方でした。印僑といわれる海外在住インド人ですらも、女性たちはサリーやパンジャビ・ドレスなどインドの民族衣装を身にまとい、食事も口にするのはインド料理のみという人が多かったようです。このように、インド的世界からなかなか出ようとせず、保守的傾向が強かったインド人ですが、最近は少しずつ変化の兆しが見えてきました。

そのひとつが、「fair(色白)」への憧れをストレートに表立って出すようになったことです。北インド系の一部民族を除けば肌の色は褐色から漆黒のダークカラーがほとんどのインド人ですが、より色が白い人を憧れる傾向は昔からありました。まさに色が白いは七難隠す、です。女性たちの間ではいかに肌の色をより白く見せるかが化粧の大きなテーマのひとつで、黒い肌の上に白めのファンデーションを塗ったりしているほどでした。しかし、それを公の場で明らかにすることは、長く厳しい闘いを経てようやく独立を勝ち取った欧米人に対するプライドもあり、とても表だって言えるような雰囲気ではありませんでした。

ところが、そんなインドで最近話題になっているのが、広告の世界で白人モデルが登場しはじめたことです。広告の世界においては、消費者が自分もそうなりたいと憧れ、カッコいいと思うモデルを選ぶのが常識です。日本の女性誌や男性誌の表紙を飾るモデルや商品広告のモデルが、長い間に渡って白人モデルが主流であったことを見ても、それはわかると思います。そこに白人モデルが登場したわけですから、インドの人たちにとっては青天の霹靂ともいうべき大変な価値転換です。

いったん切れてしまった堰は、元には戻りません。インド人でも特に若い層において、西欧文化に憧れる流れはこれからより加速化、拡大化していくでしょう。そうなると、西欧文化の窓口としてクローズアップされるのは、外国人客が多く集まる所です。外国人が集まる所といえば、まずホテル。なかでも、より濃密な外国の雰囲気に触れられる外資系ホテルの存在感は大きくなっていくでしょう。既にその傾向はあらわれてきており、外資系企業やIT企業などに勤める裕福な若い人々の間では、外資系高級ホテルで食事やパーティーをしたり、デートするのが流行しています。これはかつて日本も歩んできた道でもあります。


インドの2大名門ホテルチェーン
オベロイ VS タージ



オベロイ

創立 1934年
保有ブランド  オベロイ、トライデント・ヒルトンなど。
ホテル数 32軒(内海外7軒)
国内の主なホテル ジ・オベロイ・ムンバイ、ジ・オベロイ・ニューデリー、ジ・オベロイ・ウダイヴィラズなど。
海外の主なホテル メナ・ハウス・オベロイ(カイロ)、ジ・オベロイ・バリ、ジ・オベロイ・ロンボックなど。

タージ(タタ財閥)

創立 1903年
保有ブランド  タージ、タージ・エキゾチカ・リゾートなど。
ホテル数 57軒(内海外18軒)
国内の主なホテルザ・タージ・マハール・パレス (ムンバイ)、ザ・タージ・マハル・ホテル(デリー)、タージ・レイク・パレス(ジャイプール)など。
海外の主なホテル ピエール(ニューヨーク)、タージ・ボストン(旧リッツカールトン・ボストン)。



インド国内において、現在、世界でトップを競えるラグジュアリーホテルを擁しているのは、オベロイの方です。オベロイ・ウダイヴィラズは「トラベル&レジャー」誌の○七年度のランキングでトップとなり、オベロイ・アマルヴィラズオベロイ・ラジヴィラズも共に十、十一位にランク入りしました。

一方、タージの方は、旗艦ホテルであるザ・タージ・マハール・パレス があるムンバイではオベロイと拮抗するものの、ラグジュアリー路線では、オベロイに軍配を譲っています。

その代わり、タージはインド国内の経済拠点となる主要都市に、ビジネスマン向けのホテル網を広げてきました。これに対しオベロイは、ヒルトンとの提携で対抗しています。

海外進出についてみると、オベロイは早い時期からエジプトのギザ、バリ島など有名観光地に進出し、トップクラスの位置付けを確立しましたが、その後は中東に限られています。

一方、タージの方は、八二年に買収したロンドンのセント・ジェームズ・コート・ホテルで海外初進出して以来動きは鈍かったのですが、ここに来て舵を大きく切りかえ、積極的に海外展開を行っています。○二年にタージ・エキゾチカという新しいリゾートブランドで進出したモルディブに続き、ニューヨークではピエール、ボストンではリッツカールトン・ボストンという老舗の名門ホテルを買収。アメリカでの展開に熱心で、サンフランシスコに続き、ロサンジェルス、シカゴ、マイアミなどでも買収に動いています。その他、デュバイ、タイ、モロッコ、フィジー、カタール、オーストラリア、タヒチでは新ホテルを建設準備中。今後は中国の上海、北京、フランス、イタリア、ドイツにも進出を予定で、積極的にグローバル化を進めています。

昨年の秋からホテル関係者の間で話題になっているのが、アメリカの会社がオーナーであるオリエント・エキスプレスへのタージのアプローチです。タージ・ホテルズの親会社であるインディアン・ホテルズが同社の株の11.5%を所有していることから、まず、セールスやマーケティングにおけるゆるやかな提携を持ちかけたところ、タージの意に反してあっさりと断られてしまいました。その拒絶の理由というのが、「タージが相手だと我が社のブランド・イメージが損なわれるので」。一部には人種差別だとの声もあがったほどでしたが、これにタージ側が怒らないはずがありません。背後に控えるタタ財閥は、タタのプライドと威信を賭けて強硬策も辞さない構えで、交渉のテーブルにつくよう、再度オリエント・エキスプレス側に求めています。


インドの名門タタ財閥が
タージ・ホテルにこめたもの



インドには、かつて「世界一」と言われたホテルがあります。ムンバイのインド洋に面したザ・タージ・ホテル(現ザ・タージ・マハール・パレス )で、インドの名門、タタ財閥の創始者、J.N.タタが一九○三年に作ったホテルです。

当時イギリス植民地下にあったインドにおいて、タタは被支配者側のインド人ではありましたが、十九世紀の後半、急速に力をつけた大物インド人実業家のひとりでした。ビジネスではイギリス人ら欧米人と対等に渡り合い、財力では彼らをはるかにしのぐものを持っていましたが、そんなタタですら、「インド人はラウンジとダイニングルームには足を踏み入れてはならない」という慣例に従わざるを得ませんでした。

内心忸怩たる思いを秘めていたにちがいないタタにとって、これを晴らす絶好の機会があらわれました。ムンバイに欧米の金持ちたちをも満足させるような豪華ホテルの設立を望む気運が高まったのです。

そのバックグラウンドとなったのは、一八六九年にスエズ運河が開通し、ムンバイ港はインド洋とアラビア海を結ぶ海上交通の重要な中継点となったこと。そして、一八八三年にはパリとイスタンブールを鉄道で結ぶオリエント・エキスプレスが開通し、イスタンブールから豪華客船に乗り換え船旅でまわる世界一周旅行が欧米の金持ちの間で大流行となったこと。中継地のムンバイでも他の都市と同等以上の豪華さをもったホテルが望まれました。

そこで、ホテル作りを引き受けたタタは、当時の世界のホテル業界では破格の投資を行い、自他共に「世界一」と認めるホテルを作りあげました。コストや採算はまったく度外視し、世界各地から世界一のものを取り寄せ、最新のテクノロジーとシステムを導入。エレベーター、電気、蒸気システムの自前のランドリー、自動皿洗い機、自動カトラリー磨き、トルコ風呂、電報サービスなどの導入、館内郵便局の設置、レジデント・ドクターと薬剤師の常駐システムなど、百年前のホテル界ではまさに画期的なことばかり。オープン当時、最先端都市であったロンドンやアメリカのホテルですらも実現できていないことばかりでした。

これは、タタの強烈なメッセージでもありました。なにしろ、世界一のホテルを作ったのはイギリス人ではなく、インド人。タタは実に合法的に、自分の思想、価値観をホテルを「メディア」として使って提示したのでした。


インドの新興ホテルチェーン
リーラ・ホテルズ & パーク・ホテルズ



リーラ・ホテルズ

創立 1957年
保有ブランド  ザ・リーラ
ホテル数 4軒
国内の主なホテル ザ・リーラ・ケンピンスキ・ムンバイ、ザ・リーラ・パレス・ケンピンスキ・バンガロール、ザ・リーラ・ゴア、ザ・リーラ・ケンピンスキ・コヴァラム・ビーチ・ケラーラ。

パーク・ホテルズ

創立 1967年
保有ブランド  ザ・パーク
ホテル数 6軒
国内の主なホテル ザ・パーク・バンガロール、ザ・パーク・チェンナイ、ザ・パーク・コルカタなど。




リーラ・グループは、今から約50年前に、創業者であるキャプテン・C・P・クリシュナン・ナイール氏がムンバイの郊外に作った小さな編み物工場がそもそもの始まりで、アメリカへの既製服の輸出で財を成し、ホテル業に進出しました。

ラグジュアリー志向で、タージ、オベロイに並ぶホテルチェーンを志向しています。○一年オープンの、マイソールのマハラジャの宮殿を模してつくったザ・リーラ・パレス・ケンピンスキ・バンガロールは、「コンデナスト・トラベラー」誌の○七年度のランキング、ビジネスホテル部門でトップになって話題となり、欧米のエグゼクティブビジネスマンにも人気が高いホテルです。

国内での拡大路線を取っており、今後、デリー、デリー郊外のグルガオン、ウダイプール、チェンナイ、ハイデラバッド、プネーにホテルをオープン予定。

一方、パーク・ホテルズは一九一○年創立の鉄鋼業を中心としたコングロマリッド財閥、アピージャイ・シュレンドゥラ・グループ傘下のホテル会社です。

 一九九○年にファミリーメンバーの女性、プリヤ・パウルが二十四才で経営を任され、従来のスタンダードクラスのビジネスホテルからインド初のデザインホテルへと変貌を遂げさせました。○○年にアーバン・リトリートのコンセプトでつくったザ・パーク・バンガロールは、若手の欧米ビジネスマン客にも好評で、実勢価格で一泊375〜700ドルと、タージ、オベロイ、リーラに肩を並べるホテルとなりました。

現在、海外進出を計画中で、進出先は、タイ、スリランカ、モルディブ、デュバイ、ロンドン。向こう五年間で二十五から三十軒のホテルのオープンを目指しており、今後が注目されます。


*情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.66 2008年2月発行号掲載特集記事より抜粋。

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