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ホテル情報誌「ホテルジャンキーズ」
特集記事より



■ 特集 エッグベネディクト ■

そもそもエッグベネディクトとは…

朝食メニューのひとつで、基本は半分に切ったイングリッシュマフィンの上にハム、ポーチドエッグをのせ、オランデーズソースをかけたもの。
















ホテルジャンキーズクラブのホテルの朝食好きの皆さんが集まるグループ会でもよく話題になる料理のひとつですが、一度その魅力にはまると熱烈なファンになる方も多いのが本品の特徴でもあります。いったい何がそんなにホテルジャンキーたちを惹きつけるのでしょうか?

そこで、編集部で「エッグベネディクト調査隊」を結成。その謎を追って調べてみました。

「たいていある国」と「まず見かけない国」。

ホテルの朝食メニューに「たいていある国」と「まず見かけない国」があることに気づきました。

「まず見かけない国」の代表は、ベーコン・アンド・エッグズの国であるイギリス。そして、フランス、イタリア、スペインなど、軽いコンチネンタル・ブレックファストを食べるラテン系ヨーロッパ大陸諸国。アメリカ人客が多いインターナショナルホテルの場合、いちおうアラカルトメニューにはのせているところもありますが、実際に食べている人は少ないです。

一方、「たいていある国」はアメリカです。注文率も高く、食べている人の姿もよく見かけます。高級ホテルだけではなく、ふつうのホテルや街場の朝食を出すコーヒーショップでもメニューに並んでいます。同じ北米のカナダでもよく見かけます。

アジアの場合は、アメリカ人客が多いホテルではあり、ヨーロッパ系客が多いホテルではない、とはっきりしています。

つまり、なんといってもアメリカ人たちが好んでよく食べる朝食メニューなのです。

アメリカの場合、基本型にひとひねり加えたバリエーションも豊富で、定番のロースハムやカナディアンベーコンの代わりに、スモークサーモン、生ハム、ステーキ、牛舌、ロブスター、トリュフなどが使われることもあります。

「アメリカで一番おいしい」エッグベネディクト。

ペニンシュラ・シカゴに2002年頃、「アメリカで一番おいしい」と評判になっているエッグベネディクトがありました。

パンの代わりにポテトケーキを台にして、ロブスター、トリュフなどの高級素材をふんだんに使ったもので、ペニンシュラだけに、量もほどほど、プレゼンテーションも繊細で美しいものでしたが、オランデーズソースはかなり濃厚。

確かにおいしいけれど、これはもう朝食用というより、ランチやディナーにメインの一品として食べる料理だと思いました。

当時はグルメ雑誌などのメディアでも評判になっていた頃だったせいか、まわりを見回すとパワーブレックファスト中のスーツ姿のビジネスマンたちがこぞって注文して食べていました。

同じ頃、やはりニューヨークタイムスに「ニューヨークで一番おいしいエッグベネディクトが食べられる」と書かれていたのが、セントラルパークを見下ろすホテルル・パーカー・メリディアン・ニューヨーク

ここのはペニンシュラ・シカゴとはまるで逆で、実にアメリカ的なしろもの。これでもかとばかりどっちゃり盛った量の多さと盛り付けの不器用なもので、食べてみると、街場のコーヒーショップで食べるのと別に変わりない、普通の味でした。

「エッグベネディクトの悲劇」あれこれ。

当たれば最高、はずれれば最悪…。なのが、エッグベネディクトという料理でもあります。似て非なるもの、とんでもエッグベネディクトも多々あります。

そもそもエッグベネディクトは熱いうちに食べないとおいしさが半減してしまうものなのですが、作りおきしておいたらしいポーチドエッグが冷めていたり、冷えたオランデーズソースがかかっていたり、なんていうことも。

エッグベネディクトの醍醐味は、とろ?りと溶け出したポーチドエッグの黄身がオランデーズソースと混じりあって渾然一体となった味なのですが、かんじんのポーチドエッグが固ゆで状態で黄身がカチンカチン、なんていう「エッグベネディクトの悲劇」もよくあります。

また、けっこうしばしば遭遇するのは、オランデーズソースの代わりにマヨネーズにケチャップを混ぜて作ったと思われるオーロラソースをかけたもの。

似非エッグベネディクトか、それとも…。

エッグベネディクトという偉大なる朝食料理を産み出したアメリカ人ですが、こんな似て非なるものも作り出しました。

一九七二年にマクドナルドが売り出したロングセラーのひとつ、「エッグマックマフィン」。現在でも朝マックの人気メニューのひとつです。

これは、同チェーンのフランチャイズショップのハーブ・ピーターソンという人が、友人が大好きなエッグベネディクトのオランデーズソースをスライスチーズに替えると調理も簡単で似た味になり、値段もはるかに安くなる! と考案したものだと言われています。

同社のホームページによると「焼きたてのイングリッシュマフィンにジューシーなベーコンと、やわらかなたまごとまろやかでクリーミーなチーズ」とあります。まあ、基本的にオランデーズソース以外の材料は同じですが。

そもそも、どこで生まれた料理なのか?

さて、エッグベネディクトとはそもそもどこで生まれた料理なのか、「調査隊」のメンバーが調べた結果をご紹介しましょう。

まず、朝食といえばイギリス。そこで、ロンドンの老舗リッツが出している、『The London Ritz Book of English Breakfasts』を調べてみました。リッツで出している朝食メニューのほか、イギリスの代表的な朝食メニューがいろいろ載っている本ですが、ポーチドエッグは出ているものの、エッグベネディクトは出ていません。

次に、グーグルで検索してみました。すると、「ウィキペディア」には「エッグベネディクトの発祥には諸説ある」とあり、以下四つの説が書かれていました。

●『ザ・ニューヨーカー』のコラム『Talk of the Town(街の話題)』での、ウォー ルストリート株式仲買人レミュエル・ベネディクトへの亡くなる前年1942年 のインタビューによると、1894年にウォルドルフホテルを訪れ、二日酔 いを直すために『バターを塗ったトースト、ポーチドエッグ、カリカリに焼い たベーコンと一口分のオランデーズ』を注文した。

「ウォルドルフのオスカ ー」として知られる支配人のオスカー・チルキー (Oscar Tschirky) がこの料理に感銘し、ベーコンとトーストをハムとイングリッシュ・マフィンに替えて、 朝食とランチのメニューに採用した。

●クレイグ・クレイボーン (Craig Claiborne) は、1967年9月の『ニューヨーク・タ イムズ・マガジン』のコラムでフランスに移住したアメリカ人、エドワード・P・ モンゴメリーからの手紙を紹介した。

モンゴメリーは、この料理は1920年に 86歳で亡くなった銀行家でヨット乗りのコモドール・E・C・ベネディクトが作ったと述べた。モンゴメリーはまた、コモドールの友人である伯父から母が 受け取ったとするエッグベネディクトのレシピを一緒に送った。

●1967年11月にマサチューセッツ州ヴェニヤード・ヘブンのメーベル・C・バト ラーは、モンゴメリーの主張に対し、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で 「ル・グラン・ベネディクト夫人にまつわる周知の真実」として彼女が考案者であると述べた。 "ベネディクト夫妻は、1900年頃ニューヨークに住んでいたとき、毎週土曜日デルモニコスで食事していた。

ある日ベネディクト夫人 は支配人に「何か新しくて変わった料理はないの?」とたずね た。支配人がこれに応じて彼女の好みを尋ねると、焼いたイング リッシュ・マフィンとハムの上にポーチドエッグを乗せ、オランデー ズソースとトリュフを添えることを提案した。"

●しかしながら、最も有力なこの料理の発祥はエリザベス・デイビッ ド (Elizabeth David) の『French Provincial Cooking(フランス地方料理)』で述 べたフランスの伝統料理、ウ・ベネディクタン(Oeufs benedictine )である。

これはブランダード(戻した干しダラとジャガイモのピュレ)を焼いたパンに 塗ったもので、次にポーチドエッグを乗せオランデーズを塗る。

この料理が どのようにしてアメリカに渡ったかは未だに不明であるが、人気となった。タラと卵の組合わせは四旬節または肉を使用しない料理であること、干しダラは最も豊富だったルネサンスの時代にあったことを暗示する。

(以上、●印の文章は「Wikipedeia」より引用)

ウォルドルフのメートル・ドテル、オスカー・チルキーといえば。

これを読んで、まずピンときたのが、ニューヨークのウォルドルフ=アストリア・ホテルの初代メートル・ドテル(給仕長)、オスカー・チルキーの名前でした。彼は、「ウォルドルフのオスカー」といえば当時のニューヨーク社交界では知らぬ人がいないほど有名だったホテリエです。

チルキーの前職は、十九世紀末頃、ニューヨークではファッショナブルなレストランとして知られていた「デルモニコス」のメートル・ドテルです。ウォルドルフ・ホテルというすごいホテルがオープンする話を聞きつけ、ホテルが完成する前に早々と応募し、同ホテルの公式本「The Greatest of them all」によると、彼は最初に採用された従業員だったそうです。

採用の際、シェフ、ジョージ・ボルツは彼に複数の推薦状を持ってくるよう求めたそうです。が、「オスカーは一通しか持って来なかった」。もっとも、その一通は、多くの著名人を含む人々による自筆の十ページからなるものだったとのことで、彼がいかにニューヨークの上流社交界において人脈があり、信頼が厚かったかを示すエピソードのひとつになっています。

同書によると、彼がウォルドルフにおいて担っていた最も大きな役割のひとつは、当時のアメリカではきちんとした知識を持っていた人が少なかったフランス料理、グルメというものについての深い知識と経験を持ったオーソリティーでした。

新大陸で一旗あげた新興成金たちが続々と生まれていた当時、金はうなるほど持っているものの、いったい金持ちとは、どんなものをどういう風に食べたらいいのか。金持ちとしての身の処し方、ふるまい方がわかっていない彼らは、既存の社交界(といっても、彼らよりほんの少々早くに大金を手にした人々ですが)では相手にされず、悔しい思いをしていたのですが、金さえ払えば誰でもお客として扱ってくれるホテルに教えを請いにやって来たのでした。

彼らに対して、金持ちたるものの心得から、らしいふるまい、きちんとしたフランス料理の食べ方などを教えたのが、メートル・ドテルのチルキーだったのです。

やっぱり、どうもあやしいのは、彼。

ウォルドルフ=アストリアホテルにおけるチルキーの守備範囲は、マナーや食事をトータルに楽しむフランス流ライフスタイルに加え、フランス料理の繊細なソースやサラダドレッシング、菓子の作り方やワインの選び方にまで及んだと言われています。

今ではすっかりポピュラーになったサウザンアイランド・ドレッシングは、チルキーが考案したものとしてよく知られていますが、彼はあくまでもメートル・ドテル、給仕長であり、料理人ではありません。

しかし、お客と調理場をつなぐコーディネイターとして、お客とやりとりしながら、彼らがどんなものを欲しているかを吸い上げ、それを翻訳して調理場に伝え、お客を満足させるものをフィードバックさせたのです。

そう考えると、チルキーがフランス料理に関する料理人並の深い知識と生まれ持った創造力を駆使して提案したのがエッグベネディクトだった、という説は、充分にありうる話だと思います。

ちなみに「ル・グラン・ベネディクト夫人」発祥説で登場するニューヨークのレストラン「デルモニコス」は、チルキーがウォルドルフ=アストリアにやってくる前に給仕人を勤めていたところです。「一九○○年頃」とやや幅をもって書かれているので、ここで書かれている給仕人がチルキーだったのか、あるいは彼がウォルドルフ=アストリアに移った後で、既にエッグベネディクトがニューヨークでは評判になっていた頃なのか、どちらかはわかりませんが、いずれにせよ、チルキーの存在の影を感じるエピソードです。

オランデーズソースだから、オランダが関わっている?

いちおう、もしやと思い、オランデーズソースの方向からも調べてみました。名前からいえば「オランダ風ソース」ということになりますので、もしかしたら、オランダが発祥の地では…と。

しかし、いろいろ調べてみましたが、オランダ発祥のソースとはどこにも出ていません。 

フランス料理の本によると、基本は、卵黄にすましバターを加えて泡立て、レモン汁、塩、コショーで調味したもの。これにバリエーションで生クリームを加えて濃厚なコクを出したり、逆にバターの量を減らしてオリーブオイルを加えて軽くしたりします。

ちょっと余談ですが、このソースが一九三○年代のアメリカでどれくらいポピュラーなものだったかを示すのが、一九三八年十月二十六日付けで「ニューヨーク・タイムス」紙に出された新商品の広告です。

「Haill Hayden's Hollandaise」という瓶入りのオランデーズソースで、材料は卵、バター、レモン、スパイスだけで油は一滴も入っていませんというのがセールス文句のひとつ。そこにはブロッコリーなどの野菜や魚の他、「エッグベネディクトにかけて」と書かれています。

原型になったフランス料理は?

どうやらエッグベネディクトの生まれはアメリカのようですが、原型になったものはどこかにあるはずです。当時ヨーロッパからの移民が多かったアメリカですから、どこかに似た料理があるにちがいありません。

ホテル西洋銀座の広田シェフによると、エッグベネディクトの原型となったと思われる料理は、フランスの伝統料理ウッフ・ベネディクティヌ(Oeufs benedictine)とのこと。

これは、水で戻した干しダラとジャガイモのピュレを焼いたパンに塗り、ポーチドエッグをのせ、オランデーズをかけたものです。

料理の基本はエッグベネディクトとまったく同じですが、フランス人はふつうこれを朝食に食べるようなことはありません。

アイザック・ディネーセンの小説が原作の「バベットの晩餐会」(一九八八年度アカデミー外国語映画受賞作)という映画では、十九世紀後半、パリコミューンのフランスから逃れ、デンマークのプロテスタントの漁村に亡命した「カフェ・アングレ」(当時有名なパリのレストラン)の元シェフだった女性が描かれていますが、その村で常食していたのが干しだらのスープでした。彼女のようなフランス人シェフが、新大陸アメリカに渡り、腕をふるった例も当時は数多くあったのではないでしょうか。

フランスといえば、ニューオーリンズなど南部の旧フランス領だったところでは、南北戦争前から支配階級だった由緒ある上流階級の人々の間では、重い朝食をゆっくり食べるのが伝統でした。

アーサー・ヘイリーの小説「ホテル」には、そんなニューオーリンズ名物の朝食メニューが出て来ますが、「朝鮮アザミを敷いた上に割り落とし卵を二つ載せ、クリームで煮あげたホウレンソウを添えてオランダソースをかけた、芳ばしい、温かいエッグ・サルドゥーが出され」(新潮文庫より)といった、エッグベネディクトの親戚のような料理も登場します。

■付録 ホテルジャンキーたちおすすめのエッグベネディクトが食べられるホテル

フォーシーズンズ椿山荘「イル・テアトロ」、ホテル西洋銀座「レペトワ」、マンダリンオリエンタル東京「ケシキ」、ホテルオークラ「オーキッドルーム」、帝国ホテル「レ・セゾン」、コンラッド東京「ゴードン・ラムゼイ at コンラッド東京」など。

*情報誌「ホテルジャンキーズ」Vol.73 掲載特集記事より抜粋。